話しかけた相手が冷たかったり今まで普通に話していた人がそっけない態度を取るようになった時に私のこと嫌いなんだと直結して落ち込んでいた。
冷静に考えれば私のことを嫌いとか怒っているというよりは距離を置いているのだと思う。
これが人間関係における距離感なのです。
怒っているのであれば何かの出来事に対して怒っていて、そこに対応すれば和解する可能性はあります。しかし、何かあったわけでもなく避けられているんですよね。
「喧嘩」と「距離を取ること」とでは別物です。
喧嘩ならお互いの不満を解消できればまた仲良くできる可能性はあるけど特に何かあったわけでもなく人が離れていった時は、とりあえず今は離れるしか答えはないと思います。
何をしたわけでもなく相性の問題で疎遠になることもあれば、こちらが気づいていないだけで何かの出来事を原因に離れた可能性もありますが、いずれにしても不満を伝えることなく離れるという段階に達している場合は関係を修復しようとするよりも距離を受け入れるほうが無難です。一つの出来事に対して解決したとしてもまたすぐに他のことで不満を抱いて同じことを繰り返すリスクもあります。相手は距離を示したのだからその時はもうそれでいいのでしょう。
自分も相手も、人間は1日2日で変わるものではないし
何か月も何年も時間が経って、また仲良くなることはあるかもしれないけど今すぐどうにかできることではなく、プライベートな人間関係では合わない人とお友達として仲良くしなければいけない理由もありません。
相手が私に距離を取っている時の行動パターン
当時は怒っている、冷たい、嘘つきと感じていたことも
今思えば私に対して距離を取っていたんだなと思うことを挙げていきます。
相手が私に距離置きしていることを理解したところで
距離を置かれている状態から今すぐ解決できるわけではないけど
自分自身も、この人迷惑だなと感じた時に距離を取ることができるようになれば
私のこと嫌いなんだと傷ついてそこで止まってしまうのではなくて
じゃあどうしていこう、こちらも最低限しか話さないようにしようなど
感情論で終わらせず現実的に対応できるようになって以前ほどは傷つかなくなります。
他の人からは評判が良いのに私にだけ冷たい人
誰さんは話しやすい、気さく、面白い、ノリがいい、やさしいなど他の人からは評判がいい人でも、私がその誰さんと喋った時に「そうかなあ?」と思ったことがあります。
そういう時、相手は私に興味がなかったり距離を取ったりしているんですね。
関わりたい人とは積極的に関わり、関わりたくない人にはそっけない態度をとる、それは妥当な行動だと思います。世の中にはわざわざ自分から嫌いな人に近づいて嫌がらせするために交流するような人も存在します、そっちのほうが私は気味悪く感じます。興味がない人に興味がないと示すほうが裏がないだけまだ安全です。
興味がない=嫌い、というわけではありません。
良くは思っていないから距離を取っているのだろうけど
嫌いとか憎いというわけではなくて交流したいと思う関係ではないだけです。
お店で店員さんに話しかけられて「一人で見たいので」と言うタイプの人もいます。別に店員さんのことを嫌いなわけではありません。それに近い感情で「特に興味がないから、一人でいたいから、仲間内で喋っていたいから、遠慮してほしい」という理由で、こっちに来なければそれでいいのです。
最初から私と話す気がない人
見た瞬間に人を見抜くことはできないけど1週間、2週間も同じ場所にいれば、こういう人なのかな?という断片が見えてきます。全てを知ったわけではないけど、だいたいこんな感じの系統かなと推測することによって喋ったことがなくても、この人には興味がない、合わないと判断して距離を取っています。
ほぼ初対面なので私が相手に何か迷惑をしたことはないはずなのに私が友好的に話しかけても真顔で笑っていなくて、ほとんど喋りません。
雰囲気、普段の言動、遠くから見た印象など私に対して好ましくないと感じたのでしょう。

誰かが私の悪口を言って、悪い噂を聞いて離れていくという可能性も絶対にゼロとまでは言えませんが私はそれはあまりないと思っています、なぜなら
自分だったら好きだったらそっちに行くし、嫌いだったらそっちに行かないから
好きな友達の悪口を誰かが言っていたとしても私が一緒にいて楽しいと思うなら、たいして仲良くもない人が言っている悪口を鵜呑みにすることのほうが私自身の人生を無駄にしてしまうから
私なら自分で決めるから、私から人が離れていった時はきっかけは何であれ合わないから離れたのだと思っています。
私もかなり抜けているところがあるから、もしかしたら良くない噂が立って距離を置かれていたこともあったかもしれませんが、それで離れていく人は悪口が原因で離れていったのではなくて悪口があってもなくても元々私のことを良く思っていなかったのでしょう。
絶対にそこにないものをそっちにあると嘘をつく人
当時子供だったから場違いな私も悪いのですが
色んなお店が入っているショッピングモールで私の探し物とは別ジャンルの専門店で、こういうの探しているんですけど、どこに売っていますかって聞いたら、絶対にそっちに売っていない方向を指さして、あのへんにあるかもしれませんねと言われて、その方向に行って探しましたが売っていませんでした。
知人同士の会話でも「こういうのってどこにあるのかな」って聞いた時に、存在しない商品でも「何々に行けばあるんじゃない?」と言ったり「あそこにあったよ」と言い切る人もいます。
今思えば私に対して、こっちに来ないでほしいという意味だったのだと思います。
昔だったら嘘つきって思っていたけど嘘というよりは距離感を示していたのでしょう。
好ましくない人から、お出かけのお誘いを受けた時に、あなたとは行きたくないなんて言えないから、その日は用事があると言うのは定番の断り方です。イベントなど一度きりのものではなく食事などいつでも行けるものへのお誘いに、行きたいけど本当に用事があって行けないのであれば代わりの日を提案します。
用事がなくても用事があると言って断るけど、もしもその日は予定が空いていたことを知られても、このような場面で人は、なんで嘘をつくのなんて言いません、そういう距離なんだと受け取ります。
完全に自分の利益のためや人を陥れるために嘘をつくのなら嘘つきだと思いますが相手を傷つけない断り方として嘘をつくのなら嘘ではなく距離です。
つい最近まで仲良く喋っていたのにそっけなくなった人
ちょっと前まで仲良くしゃべっていたのに気づいたら何を言ってもどっちつかずの無難な相槌しか打たなくなっていたり、終始顔が笑っていなかったり、話しかけると「えっ」て嫌な顔をされたりする時。
そこには大きく分けて2つの原因があります。
関わってみた結果、合わないと思った
挨拶程度に関わっていた、又は、気が合いそうだと思って一緒にいたけど
少し時間が経って合わないことに気づいて離れた。
何を喋っても会話が後に続かないようなそっけない返事になっていて顔も笑っていない。
こういう時は、もう離れたほうが良いです。
「ここがこうだったらな」と思う段階なら「こうしてほしい」と伝えます。もう一緒にいたくない域に達しているから何も言わずに距離を取ります。その時は距離を受け入れたほうがお互いに良いです。私もこちらを良く思っていない相手と過ごす時間は気を遣って疲れます。
一人でいるところを見られたくないから私と一緒にいた
一緒にいるようになった時から最初から、後に離れることが決まっている人もいます。
興味があって近づいたのではなく、一人でいるところを見られたくない、ひとりぼっちになることを回避したいという理由で私のところに来た人です。
親しい誰さんと喧嘩したり、仲が良かった人たちの輪から外れてしまったり、その場に親しい人や輪に入れてくれそうな人がいない時に、一人でいたくないがゆえに、ひとりぼっちでいるところを見られたくないから一時的に私と一緒にいようとする人もいます。そういう人は他に自分が求める人間が現れたら、あっさりと離れていきます。始めから期間限定のつもりで私に接触していてます。
離れた時に自分が悪いなど気にする必要はありません。
離れることは最初から決まっていたことです。
合わないことを知ったうえであちらの都合で私のところに来て用が済めば去っていく、それは自己中心的な自分勝手にも見えますが受け入れたのは私です。
こういう人が寄ってくる時、私も寂しさを抱え、疲れていたから判断力も低くて「友達できた」と捉えてしまい友好的な姿勢を見せていました。親しい人と仲たがいして別の人のところに行くことがきっかけの出会いもあるから否定はしないけど、興味がないのに一人ぼっち回避を目的として近づくことが私は嫌なので無視はしないけど後に続かない短い相槌に徹して定着しないようにしています。

自分も迷惑な人や興味がない相手に距離を取ってみる
人が私にそっけないような気がして傷ついていた当時、私自身は自分から相手に距離を取ることはほとんどありませんでした。
なんて言って、どうやって離れたらいいのか、離れ方がわからなかったので心の中では嫌だな迷惑だなと思っていても相手から離れない限り、こちらから離れることはありませんでした。
仲の良い人同士でも距離を示し距離を受け取っている
人は、仲の良い人同士であっても、さりげなく小さく角を立てない程度に
これはやめてね、ここまでは入ってきていいけど、これ以上は駄目だよと
相手との関係に相応した距離を示しています。
示された人も距離を受け取って対応しています。
そうすることによって不満を溜めにくく長く交流を続けることができます。
これ以上は受け入れられないという限度に達した時に、人は距離を取ります。
仲良くするか関係を断つかの二択しかなかった私
私は距離の示し方も、距離というもの自体も理解していなかったので
嫌だと思っていても行動や言動で示すことはなく
怒りや不満を溜めて一区切りつくまで仲良くした後に疎遠にしていました。
まだ一区切りもついていないのに離れる時は、よほどの不満を抱えた時です。
自分がそうだから、相手がちょっとした距離を示した時も
私のこと嫌いなんだと思って、ひどく落ち込んでいた。
振り返れば虚しい生き方をしていたと思うけど、その時はそういう発想しか持てなかった。

相手との関係に合わせて色んな距離の取り方がある
関係を断つまでしなくても
- その場では喋るけどプライベートでのお出かけは断る
- 返信はするけど返すまでの時間を長くする
- 話はするけど誰に聞かれても困らないような雑談しかしない
- 強く距離を置きたい時は無表情に黙る
など、色んな距離の示し方があると思います。
通常は1m、2m、3mと、1メートルから10メートルまで10段階の距離があるとして、過去の私は距離を使うか使わないかの選択肢しかなくて、ちょっと関係をお休みしたい程度の相手にも二度と関わりたくない相手にも一律して10メートルの距離しか使えない状態でした。
距離が使えるようになると距離を置かれても傷つかなくなっていく
自分が場面や相手にふさわしい距離感を示せるようになると
人が私にそっけない時にも、私のこと嫌いなんだという感情論ではなく
そういう距離なんだと用件として受け取ることができるようになって
あまり傷つかなくなっていきます。
全く気にしないわけではないけど距離を感じた時にできることは、挨拶をしたら立ち止まらずサッと離れる、必要な用事がない限りは近づかないなど相手が示した距離に応じた対策をとることくらいしかありません。
私のこと嫌いなんだと感情論として認識していた時には明確な原因や対策が見えないことも落ち込んでしまう理由だったけど、距離という用件として受け取れば淡泊な対応に徹するなど、今からでもできることがあります。
人が私に冷たいような気がして感じていた寂しさは
私が距離とは何か理解していなかったことに原因がありました。